濃いブルーの夜

My Favorite Blue.

コンビニには天使がいる

(※本記事は2017年5月にTumblrへ投稿した日記を加筆訂正したものの再掲です)

 

うちの近所は何故かやたらにローソンが多いのだけれど、その中で唯一存在するサークルKに一時期よく通っていたことがあった。単純な理由で、めちゃくちゃかわいいお気に入りの店員さんがいたのだ。かわいいといっても学生さんとかではなく、30代くらいのちょっと冴えない男性である。男性にしてはやや高めの声で、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を、省略せずにきちんと発音する人だった。お会計の手つきも丁寧で、でもちょっといつもアワアワしていた。そういう振る舞いに癒されて、特に欲しいものは無くとも足繫く通っていたのだ。あまりに癒されるので、彼のことは心の中で勝手に「天使」と呼んでいた。本当の名前は覚えていない。

今から3年前、私は毎日毎晩遅くまでサービス残業続きで、帰宅時間は大体夜中の2時だった。お腹は空いてたけれど夜中に物を食べて太るのが嫌だったので、何となくカロリーの低そうなヨーグルトだとか、大好きなカフェオレだとか、そういうものを毎日毎晩買い食いしていた。もうへとへとで、ふらふらで、心も身体も疲れ切っていたなかでのささやかでちょっと無駄な買い物が、唯一の楽しみだったのだ。そんな夜中2時前のコンビニに、天使はいつも居た。深夜枠のシフト担当だったんだろうなあ。死んだ顔死んだ目でふらふら入店する私に、天使はいつも笑顔でハキハキと「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。

 

ある日、あまりにもしんどすぎる仕事をようやく終え帰路についた私は、クタクタな身体でサークルKに寄った。いつもどおり買い物をして、いつもどおり天使にお会計をしてもらいながら、疲れすぎた頭でぼんやりと「この人もこんな遅い時間にワンオペでコンビニ回させられて大変だなあ。私が帰った後も、この人はこのレジに立ち続けるんだなあ」とか考えていた。そして、お釣りを受け取る際に思わずぽろっと「ありがとうございます。お疲れ様です」と口走ってしまった。基本的にお釣りを受け取る際は、会釈をしているのかしていないのかよく分からない角度で首を動かして店員さんを見ないようにしているので、天使がどんな顔をしていたのかは不明である。そのまま天使に背を向け、手動のドアを押して店を出ていこうとした瞬間、後ろから「ありがとうございました~!…………おつかれさまです!」と声がした。ドアを開ける勢いは止められず、返事もせずにそのまま店を出てしまったのだけれど、想定外の労りの言葉に私はめちゃくちゃ癒されて元気が出てしまった。

それからは毎回、天使には「ありがとうございます、お疲れ様です」と必ず伝えるようになった。天使も毎回、「ありがとうございました」の後、ちょっと間を開けて躊躇いながらも「おつかれさまです」と私の背中に言ってくれるようになった。そういうことを繰り返しているうち流石に顔を覚えられたのか、入店時の「いらっしゃいませ」の前にはかすかな小声で「アッ」と認識されている声が聞こえるようになった。耳ざとい私が気持ち悪いのではなく、殆ど人が居ない深夜のコンビニなのでそういうのが聞こえやすいのだ。と言い訳したい。念のため。

本当は全然必要ないのに、ちょっとでもやり取りがしたくて「レシートはお付けしますか?」という問いに毎回「お願いします」と答えていたら、何度目かのお会計の際「レシートはお付け……アッ、されますよね、すみません、へへっ」と渡してくれた。私は涼しい笑顔で「ありがとうございます」と受け取りながら、心の中で「可愛い~〜〜〜」とガッツポーズをした。
またあるとき、少し風邪気味だった私はいつもカフェオレばかりを買うのにのど飴1本だけをレジに持って行った。商品…、お釣り…、レシート…、とピョコピョコした手つきで私に手渡しながら、天使は「喉痛めてらっしゃるんですか……?」と心底心配そうな面持ちで尋ねてきた。「そうなんです~、なんかちょっと。」と答えると「お大事にしてくださいね…!!」と本気で労わられたので、心の中で「可ッッ愛ッッッッ~〜〜〜〜〜〜〜〜~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と思わず合掌した。

私は天使が大好きだった。異性としてや、人間としてというよりも、近所で飼われている犬が自分に懐いてくれているような、そういう感覚の嬉しさだった。

そんなこんなで真夜中の1~2時頃、そういう5分にも満たないささやかなやりとりを週4~5回のペースで繰り返していたある日、天使は私がレジに置いた商品のお会計をする前に「あの、すみません」「はい?」「楽天とかって、使ったりされますか?」と声をかけてきた。それはサークルKのポイントカードを良かったら作らないかという質問であった。専用サイトに登録するだけで簡単に作れるということ、貯まったポイントは楽天でも使えてお得だということを、分かりやすく丁寧に説明してくれた。そして何より、私はいつもここでよく買い物をしてくれているから、よりお得に買い物をしてもらいたいと思ったのだと、天使は私のためにわざわざ声をかけてくれたのだ。

私は「じゃあ、次来るまでに作っときますね~」と快く笑顔で応えた。天使も、「そしたら、この用紙一緒に袋に入れておきますね!」と、嬉しそうに商品と一緒に丁寧に袋詰めしてくれた。今までで一番たくさん会話をした夜だった。そしていつもどおり「お疲れ様です」と挨拶しあって、そのまま店を後にした。

 

それ以来、一度もサークルKに行っていない。

 

実を言うと、私はポイントカードを作ったり持ったりするのがひどく面倒だと感じる人間であった。今でも、iPhoneの機種変更時に無理矢理作らされたTポイントカードと、行きつけの美容室のもの以外、一切のポイントカードを持っていない。さらに元々当時は仕事に追われ日々残業続きの社畜であったので、簡単だと言われていたその登録サイトにまずアクセスすること自体が非常に困難で億劫であった。しかし私は天使に「次来るまでに作っておきますね」と宣言してしまったので、カードを持たずして店を訪れることはできない。あんなに一生懸命説明してくれたのに、持っていなかったらきっとガッカリさせてしまう……。そんなこんなでグズグズしているうち、店に行くことができなくなった。一週間、二週間、一ヶ月と月日はどんどん経過してゆき、遂に私は職場が異動になり、サークルKを通らない通勤路になってしまった。

あの頃のことを、今でも時々思い出す。急に来なくなった私のことを、天使は何か思ったりしただろうか。それともとっくに忘れられてしまっただろうか。今でも深夜シフトに入っているのだろうか。あの少し高い声で、ひとりひとりのお客さんに丁寧に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」ときちんと発音しているのだろうか。いらっしゃいませって、もう一度言われたいなあ。

いつかまた店を訪れ、お会計の後にお疲れ様ですと声をかけたら、私のことを思い出してくれるかな。訪れるためのポイントカードは、3年経ってもいまだに作っていないのだけれど。

 

***

 

(2021.5月追記)
このブログを書いた一年後、天使の居たコンビニはいつの間にか潰れていた。とてもショックを受けた。サークルKファミリーマートに統合されてしまい、今はもうどこにも姿は無い。カード嫌いな私もあの頃よりは手持ちのカードが増え、クレジットカードは楽天で作った。
今にして思えば、天使って要するに「推し」だったんだなあ。「推し」という言葉も概念もまだ知らなかったけれど、あの頃の私にとって彼は確かにささやかな心の支えだった。

今頃どこで何をしてるんだろう。どこかで会ったとしても、きっともう気付けないと思うけれど、どうか健康で、笑顔でいてくれたらいいなと思う。一度推したら、推しはずうっと推しなので。